2007年01月09日

「土地と日本人」その5

ぬやまとの対談の中に「天皇家の財産」というくだりが有る。
ぬやま は指摘する。

「岩倉具視の建白書に従って、明治二十三年に四百八十万町歩アッというまに、天皇家の私有財産に決められたわけでしょう。それにつづいて島津、毛利、鍋島、それからT家のような地方の素封家が山林原野を分け取りしてしまった。その面積さえ測量されていない。
その実際の面積と土地台帳を比べてみたら、おそらくどんな穏やかな日本人といえどもですね・・・。」

司馬は、その経緯を当時の大きな歴史的背景に中に説き明かしてくれる。

「天皇家の問題ですけれど、本来財産を持っていなかった京都のまあ神主さんのような天皇家が、非常に多くの山林を持つようになるのは明治十年代だと思うんです、おっしゃるように岩倉(具視)がそうさせたようですね。・・・・後になって士族の不平、自由民権運動の台頭で、岩倉が過度な神経を使う。そのころもう廃帝の声…や共和制という声があった。明治維新成立とともに天皇家をやめて共和制でいって大統領を出そうということですね。」
「そういう岩倉ですから、万一日本に自由民権運動の大反乱が起こった場合に、天皇に兵隊を養えるだけの財産を必要とするということが天皇領の発想のもとなんでしょうね。農地の方は天皇が地主になることはできないもんですから山林ということにしたんだと思うんです。」

ぬやまは憤る。

「あの膨大な土地が国有になったといっても、やっぱり官僚が管理しているわけでしょう。この誰も目のとどかないところで行われている土地の管理と資本の管理ね、これに伴う腐敗とそれが浮かびあがってくれば、田中角栄にいわせれば、おれのやったことなどものの数でもないんだ(笑)と。・・・」
 
ここで私の頭に浮かぶのが、戦後の農地解放である。もちろん岩倉具視とGHQ、天皇家と小作農、山林と農地、という全く位相の違う歴史的事件であることは承知しながら、なにかしら相通じる鈍い不快感を、腹の底に覚える。大仰に言えば、日本民族としての「内なる後進性」とも言うべき、後ろめたさというか・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・続く・・・・・・


posted by 新八 at 10:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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