「世界的に有名な革命というのはすべて土地問題を解決している。ところが明治維新も革命に入れるとしたら、明治維新だけが土地問題に手を触れずに過ごしたということが大きいです。・・・・戦後の農地解放・・・・私も非常に大きな評価をしておったんです。つまり明治維新でなしとげられなかったことをやった、と思っていたんですけれども、よく考えてみると、太閤検地以来の平場の農地を解放しただけであって、日本の全面積の二〜三割にすぎなくて、あとの七〜八割が山林である。・・・が宅地化し、工業用地化し、・・・いろんな土地利用のために、その無価値に近かったものが、・・・狂騰しはじめたでしょう。」
ここから、明治維新がすり抜けた土地問題を江戸まで遡っていく。
ぬやまはいう。
「徳川時代に土地を持っていたのは町人と農民だと・・・しかしね、その持っていたという所有観念、今日の私たちの所有観念は資本主義的な所有観念ですね。ところが徳川時代における・ ・・所有観念はね、今日の私たちの所有観念とはっきり区別しないとねえ。」
「農民の場合でも・・・領主が一人ひとりの農民から年貢米を取り上げるということは事実上できないし・・・その村に名主とか庄屋とかを置いて、それがつまり請け負っているようなもんでしょう。」
「いまの私たちの立場から考えれば、漠然とした所有観念しかない・・・」
私から言わせれば、ぬやまは、近代的所有観念から江戸農民の所有観念を理解しようとするから、ここでとまってしまう。この先の扉をとく鍵は、日本の(というよりアジアの)水田農業のあり方にある、と私はおもう。
つまり、水田農業は個々の農家が自己完結的に営めるものではなく、不断に維持管理を必要とする持続的なシステムの上にしか成立しないものであり、それ自体地域の共同体のあり方と不可分の関係にある。
水路の補修、畦・農道の管理、入会地の保全、用水の公平な分配。さらには、氏神神社を中心にした四季折々の行事を通じた集落コミュニティの円滑な運営に至るまで。個々の農民による日々の労働だけでなく、これら集落の老若男女が関わるあらゆる活動が、集落コミュニティ=水田農業生産システムを支えてきたのである。言い換えれば生産システムとして江戸時代の水田農業を見る場合、こうした集落コミュニティそのものが持続可能な生産手段だったと言って過言ではない。そして領主は、領地内の平和と安全に対する保障と引換えに、その集落全体を束ねる名主なり庄屋を通じて年貢を徴収していた。
こうした津々浦々の水田農業生産システムとしての集落コミュニティを基盤にして、江戸時代における社会システム全体が支えられていたのだとしたら、その時代に「個による土地所有」という概念は育ちようがないばかりか、ある意味で社会基盤を脅かす危険思想すらであったかもしれない。
反面ヨーロッパにおける農業は牧畜や果樹、畑作農業という、どちらかといえば個別経営が自己完結できる生産形態が主体であり、(もちろん集落として共同体的機能は存在していたであろうが)社会の基盤である農業のかたちが異なれば、土地所有に対する意識は当然異なってくるのではないだろうか。
・・・・・・・・・・ 続く ・・・・・