2007年01月01日

「土地と日本人」その1

謹賀新年。
今年は冬の間くらい読書日記代わりに更新したい、と思う元旦の朝です。
せいぜい三日坊主にならないよう努力します。

何年か前、古本屋さんで司馬遼太郎の対談集「土地と日本人」を買った。
中公文庫から昭和55年に出された本である。
裏表紙に
「<戦後社会は、倫理も含めて土地問題によって崩壊するだろう>この状況を憂える筆者が各界5人の識者と、日本人と土との係わり、土地所有意識と公有化の問題などを語り、解決の指針を提示する。土地という視点から見た卓抜な日本人論にまで及ぶ注目の対談集。」
かねてから私の中に漠然とあった資本主義における土地所有にたいする関心にヒットして繰り返し読むようになった。

対談者は野坂昭如(作家)、石井紫郎(東大教授歴史学者)、高橋裕(東大教授土木工学)、ぬやまひろし(詩人にして革命家(?))、松下幸之助(松下電器創業者)
当時の田中角栄「列島改造論」に始まって全国に広がった、今で言う土地バブル、野坂との対談の中、司馬はこう嘆く
「ぼくはいわゆる河内の国に住んでいるわけです。・・・・今から12,3年前までは、そのあたりの丘陵地帯を歩いているだけで実にいい感じのする田園だった。いまはそこがいちばん悪くなってしまっています。ゴミの山です。つまり自分の農地をだれかに売ってしまう。買うのは投機業者・・・・農業にいろんな問題があると思うんだけれども、とにかくこの国において何をどうする、ということをどう考えてもすべて枝葉です。土地を公有にする以外に方法はありませんね。」
かなり身近で切実な危機意識からかいきなり「土地公有論」が飛び出している。私なりに理解する彼の思想的ポジションからすると唐突な観があるが。

「これだけの狭い国土で、平場の土地が二割もないところでしょう。そして社会の生産形態が少し変わると、体に合わせて洋服を作り直すみたいにして国土を変えていって、その変え方がめちゃくちゃなんだ。土地問題を貫いて、こうすればいいという大思想がないんですよね。そして技術だけがあるから、危なくてしょうがない。大工事ができる土木機械だけあって、・・・それが途方もない自然破壊にもなるんですね。」

「とにかく土地についての思想を明快にしてから、資本主義をやってくれ。今の投機的な資本主義はかなわん感じでしょう。農業だって投機にまき込まれている。農業者自身の意識が投機的になっている。」

私にはこれが過去の話とは思えない。明けて一昨年。愛知博に行った時、あの辺りは「世界のトヨタ」の城下町だろうと思うが、当時日本で最も景気の良い地域だったらしいが、その景観の醜さといったらない。田んぼの中に
パチンコ屋とディスカウントストアとコンビニが軒を並べ、郊外は住宅地と
農地が渾然一体となってそれぞれ勝手に存在している。相互に全く関連性や秩序無く、そこには効率性も社会性もましてや美意識のかけらも伺えず、到底地域社会が成り立つとは思えない見事な無秩序である。
これが好景気の産物ならば、北海道には無用といいたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 続く

posted by 新八 at 07:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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