「うちの会社は必要以上の土地は買わんのですよ。そうすると、要る人が困るから。要るだけの土地を買う、要らん土地は買うてはならんというのが、うちの方針です。」
「土地があれだけ上がったということは、人心をむしばみますな。働きに見合う所得は多少多くてもよろしいけれど、そういうものやなしに入る所得はあきませんな。働きのない所得というものはあってはならん、ということが原則にならなくてはいかんですよ。」
今日生きていたら、彼は六本木ヒルズの若き経営者たちをどう評するであろうか。
「わたしは難しい学問はわからんけれども、資本主義においては、資本で得るところの所得はそう高いものであってはならない。資本の価値は十分に認めるけれども、それは労働とか勤労、また頭脳の働きを使って得るところの所得と、資本によって得るところの所得というものは、もちろん資本によって得る所得のほうが薄いんだという考え方が原則として成り立っていなければいかんと思うのですよ。・・・・」
ここにものづくりに徹してきた経営者の哲学が明確にしめされている。それこそ、司馬(遼太郎)の称揚する「筋肉質の資本主義」そのものであろう。
しかし一方で、司馬が唱える「土地公有化」については俄かに賛同しはしない。
「共産主義になれば別やけれども、資本主義、自由主義である限りは、やはり土地を完全に公有にするということはむずかしい。土地は私有財産として認められるが、しかし、ほかの私有財産とは違う。土地だけは公有性のあるものやから、土地は自分のものであって自分のものでない、保管だけ頼まれているんや、いつでもお返しします、・・・そういう意識の培養運動をやらなければいかんですよ。・・・・」
そして、日本が大きな転換期に至っているという認識は共有しながらも、その未来に対してはむしろ楽観的だ。
世界に冠たる家電メーカーを一から育て上げた、類い稀な実践家の哲学は、あくまで未来志向のオプティミズムなのかもしれない。
「何か政治のうえにも、経済の上にも、ひとつの大きな転換期が来ておると、私は思うんです。・・・日本の過去の例を見ていると、なかなかつぶれるようでつぶれまへんな、日本は。だから、国運というものはまだまだある。遠い将来は別として、・・・何世紀かの間は発展の一途をたどるだろう、・・・」
この「見立て」は正しかったのか、その答えを求めるのはまだまだ早いのかも知れない。
それにしても、この対談を締めくくる司馬の最後の言葉は対照的に沈鬱だ。
「土地は公有だという合意が原則だけでも成立しない限り、土地の上に成立している政治、経済あるいは人文などの諸現象の生理は土地の病気をそのまま受けますから、異常が異常をかさねてゆくのではないでしょうか。まあ崩れるところまで崩れきるのを待たなければしょうがないということもあるかもしれませんが。」
・・・・・・続く・・・・・