2007年01月11日

「土地と日本人」その6

最後の章での松下幸之助との対談の中で、司馬は言っている。

「ともかくも明治維新では、土地問題はすりぬけて通ってしまったと思います。これについて野坂(昭如)さんは・・・みんなに土地の所有欲を非常に強く植えつけたのは農地解放以後ではないかと、と言うんです。なるほど・・・戦前は相当いい暮らしをしている人でも借家でした。・・・ですから土地を所有しようという欲深いところまで考えなかったのが、いまでは万人に及びましたですね。」」
「そのくせ太閤検地から農地解放にいたるまで、調査していない部分が山林なんです。山三倍と言いますでしょう。・・・そこへもってきて新幹線はつくる、新道路は拡張される、造成地はいたるところで乱開発されるというように、山林がどんどん金になっていきますでしょう。」

戦後の農地解放が作り出した膨大な小土地所有農民は、たとえ過去に小作人として搾取されてきたとはいえ、一滴の血を流すこともなく、まして自らを日本の社会における「持たざる階級」として意識することもなく、そうであるが故に「土地革命」という歴史的社会的意義についての認識もないまま、「対価」ともいえないわずかな対価を払い農地を手に入れた。
 もちろん、戦後農政の出発点のひとつが自作農主義であり、そのことが日本の農村の「民主化」にとって不可欠な命題であったことは否定できない。むしろ当時の食糧事情からして農地は私有財産というより、食糧生産のための「社会的な」生産手段という認識のほうが強かったかもしれない。
一方で明治以来農民層分解は静かに進んでいたのも事実で、(その評価は学者諸氏の見識に俟つとして)自らの才覚で相応の対価を払って農地を獲得し、自作農への道を切り開こうとする「独立自営農民」が育ちつつあった。それはまさしく司馬が繰り返し嘆いたようにわが国に育たなかった「資本主義的土地所有」の微かな芽生えではなかったか。農地解放はその時点で、農村に進みつつあった農民層分解を一端リセットすることとなり、同時に、わずかに育ちつつあった「資本主義的土地所有」の萌芽を、ある種の「モラルハザード」によって消し去ってしまったといえば、極論であろうか。
人為的に輩出された膨大な自作農民は、米価運動を「農民春闘」などと称し、あたかも労働者に倣って経済成長の分け前を要求する一方で、含み資産化する農地の所有者として保守政治を支える「持てる」層として、二つの顔をもつ特異な「階級」に変貌していく。
その過程は同時に、明治期に岩倉具視の差配で天皇家と雄藩とで分け取りされた山林が、戦後の好景気にあぶりだされて「平場の都会地へ札束を投げ込んでくる。」(司馬)過程と重なりあい増幅しあう。
ようするにこの国では、上から下まで土地持ちになってしまい、皆どこかでこの「ぶよぶよの資本主義」につながって寄生してしまった。生産過程においては世界に冠たる品質と生産性を誇る国でありながら、その結果稼いだカネは、金融過程を通じて足元の土地に貯め込まれ、「ぶよぶよの資本主義」(現代の言葉で言えばバブル)を肥大させていく。
司馬の言う「筋肉質の資本主義」を上半身とすれば、高度経済成長の果実はとめどなく下半身に流れ込み「ぶよぶよの資本主義」を肥大させるという、歴史上稀にみる醜悪な姿をさらす国になってしまった。
               ・・・・・・・・・続く・・・・・・
posted by 新八 at 05:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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