宮沢賢治の教え子たちの回想と賢治の詩を素材に、彼の教育者としての姿を
浮き彫りにしていく。
「感じる通路の開いたからだ」をもった賢治。「すべてのものはつながっている」と感じる賢治。
・・・・水や光や風ぜんたいがわたくしなのだ…(「種山と種山が原」パート3)自然に同化し自然になってみる
生徒とつながっていた賢治。
だれがだれより偉いかを比べる馬鹿らしさ。生徒に「天の才」を発揮させる。そして教師として真剣に生徒と向き合うほど、農学校の生徒に百姓仕事の尊さを説くほど、自分が教師であることの矛盾に悩み、ついに教職を辞し
農民救済の道へと入っていく。
いま,なぜ「賢治の学校か」?
教育者宮沢賢治を鑑としたとき、今の「時代の窮屈さが見えてくる」「追い詰められる子どもたち」の姿が見えてくる。
そして著者は「新しい時代をつくる最後のチャンス」だと訴え、教職にあるみずから教室で「賢治の学校」を実践し、退職後は全国各地を飛び回り「賢治の学校を世界中に、星の数ほど誕生させようと思う。」と志す。
いまもその活動は営々と各地で続けられている。
この時代に宮沢賢治が生きていたら、どうしただろう?自分も賢治にはとうていなれないにしても、小さな賢治の一人にはなりたいな、とか夢想するこの頃です。