それぞれの対談から数年が経って、表現こそ落ち着きを取り戻しているとはいえ、むしろそうであるがゆえに彼の中に深く沈殿した問題の重さを感じさせる。
「戦後社会は、倫理をもふくめて土地問題によって崩壊するだろうと感じはじめてから、十数年が経った。
幼児の声は、本来、警報のためにあのように癇のひびきのつよいものになっているが、私の土地問題の提起はその程度でしかなく、幼児の声が耳ざわりなように、われながら、この問題での自分の声が愉快ではない。」
「本来、空気が人類の共有のものであるように、海も山も川も、そして野や町も、景色としてはひとびとの共有のものである。あらためてそう思うだけで、問題への解決が、一歩すすめられたことになると思っている。」
「たとえば、日本の繁華な町の国鉄の駅前は、どこでも汚い。
店舗がたがいにどぎつく自己主張しているために、醜悪という美的用語さえ使いにくい。石油カンでも叩くように、たがいに色彩と形体の不協和和音をきそいあっているだけのことである。」
「われわれ日本人は富士山を心の中で共有している。・・・・富士山を単に土地として見なければならない事情ができたとき、富士山を何割か削ることも、今日ありえないことではない。」
富士山をひきあいにするとは、日本人に対するこのうえない警鐘であろう。
しかし残念ながら司馬のこの杞憂は、この北海道で現実化した。
国立公園である洞爺湖畔を見下ろす山の頂にリゾートホテルが建った。その辺りで最も高い位置にあるその建造物は、当然にも洞爺湖を眺めるときにいやおう無しに目に入る。その存在自体が、周囲の自然環境と調和していた洞爺湖の美しさを見事に破壊した。その建物自体の醜さより、洞爺湖の美しさを踏みにじってまでも金儲けに奔走した者達の心根の浅ましさに目を背けたくなる。
彼らは同時に、私たちが「洞爺湖を共有する」ことを破壊した、と私は思う。バブル末期のことである。(衆知のことだが、そのホテルを建てた企業と銀行はいずれも破綻したが、その後別な企業が高級リゾートホテルとして経営している。)
「空間の共有という思想が成立していない。」
この司馬遼太郎のことばは、「未来の共有という思想が成立していない。」と言い換えてもいいと、私は思う。
土地は消費されるものではない。私たちが生きている限り、過去から未来にわたって私たちの足元を支え、生きる糧を与えてくれるいのちの源であるはずだ。その土地のもつ悠久の時間のごく一部を、今生きている私たちが使わせてもらっているのではないか。地域に住むものとして、日本人として、さらには地球に生きるものとして、次の世代につなげていく務めがわれわれにはあるのではないか。
・・・・・・続く・・・・・